
組織の暗黙知の正体は、何を良しとし何を捨てたかという判断
異動してきた担当者が、定例会議で新しい企画を提案します。筋は通っていて、資料もよくできている。ところが古くからいる何人かが、どこかで見た案だという顔をします。三年前に一度検討し、見送った企画でした。なぜ見送ったのかを尋ねても、議事録には「見送り」とあるだけで、当時を知る人の記憶もまちまちです。結局、同じ検討を最初からやり直すことになります。
この会議で失われていたのは、企画書でも結論でもありません。そのとき何を比べ、何を良しとし、何を捨てたのかという判断の過程です。私たちGreatRIVERは、これを「組織の暗黙知」と呼んでいます。個人の勘やコツのことではなく、組織として下してきた判断の積み重ねのうち、まだ言葉になっていない部分のことです。
組織の暗黙知とは、組織が何を良しとし、何を捨ててきたかという判断の過程のうち、結論の記録には残らず、人の記憶と振る舞いの中にだけある知のことです(GreatRIVER編集部)。
組織の暗黙知は、結論ではなく判断の過程にある
組織に残っている記録の多くは、結論です。決まった方針、採用された案、承認された予算。どれも大切ですが、結論だけを見ても、次に似た場面が来たときにどう決めればよいかは分かりません。

結論の下には、いくつかの層があります。まず、なぜそう決めたかという理由。その下に、比べて捨てた案と、捨てた理由。いちばん奥に、その組織が何を良しとするかという基準があります。この基準は、たいてい誰も書いていません。「うちはこういうものは出さない」「この順番では決めない」という感覚として、長くいる人の振る舞いの中にあります。
書かれないのは、怠けているからではありません。基準は、決める場にいる人にとって当たり前すぎて、わざわざ口に出されないのです。口に出されないものは、議事録にも残りません。
下の層ほど言葉になりにくく、そして下の層ほど、次の判断に効きます。冒頭の会議で必要だったのは、三年前の結論ではなく、捨てた理由のほうでした。状況が変わったいまなら、その理由はもう当てはまらないかもしれない。それが分かれば、やり直しではなく、続きから議論を始められます。
なぜいま、組織の暗黙知が問われるのか
理由は二つあると考えています。
一つは、判断に立ち会った人が、同じ場所にいつづけなくなったことです。異動や兼務の組み替え、転職によって、ある決定の場にいた人が数年後には一人も残っていない、ということは珍しくありません。結論は文書として残っても、その場で交わされた比較や迷いは、立ち会った人と一緒に離れていきます。あのときなぜあの案をやめたのかは、誰かに聞かれないかぎり、本人も思い出さないものです。
もう一つは、生成AIの広がりです。情報を集め、分析し、資料をつくる仕事は、速く安くなりました。すでにある問いに答えることは、誰にでもできるようになりつつあります。そのとき組織ごとの差として残るのは、出てきた答えのうちどれを選び、どれを捨てるかです。AIに過去の資料を読ませても、残っているのが結論だけなら、返ってくるのは結論の寄せ集めです。何を良しとしてきたかが残っていなければ、AIもそれを学べません。
個人のノウハウやマニュアルとは、扱うものが違う
暗黙知という言葉は、経営の分野では、経営学者の野中郁次郎が示したSECIモデルを通じてよく知られています。暗黙知と形式知が、共同化、表出化、連結化、内面化という四つの過程を巡りながら、個人の知が組織の知になっていくという考え方です。

この枠組みに照らすと、組織の暗黙知がいちばん抜け落ちやすいのは表出化のところだと、私たちは見ています。会議で議論を重ねても、言葉になって残るのは結論だけで、比べた案や捨てた理由は、その場にいた人の中にとどまるからです。
近い言葉とも分けておきます。個人のノウハウは、ある人が仕事をうまくこなすための手順やコツです。マニュアルは、決まったことを決まったとおりに行うための形式知です。どちらも役に立ちますが、扱っているのは「どうやるか」です。組織の暗黙知が扱うのは「何を選ぶか」で、正解の決まっていない場面でこそ効きます。
特定の人に判断が集まり、その理由が残らない状態は属人化と呼ばれます。属人化は悩みとして表に出る症状の名前で、組織の暗黙知は、そのとき失われている中身の名前です。また、判断の過程が積み重なり、組織の誰もが使える形になったものを、私たちは判断の型と呼んでいます。この型を内側に残すことが、私たちの考える内製化です。
残っているかは、捨てた案を聞けば分かる
組織の暗黙知が残っているかどうかは、記録の量では分かりません。最近の大きな決定を一つ選び、いくつかのことを聞いてみると見えてきます。
その決定の前に、ほかにどんな案が比べられていたか。それぞれを捨てた理由は何だったか。その理由を、決めた本人以外が説明できるか。そして、同じ理由が、別の案件の議論でも引き合いに出されているか。
決めた人しか答えられなければ、判断の過程はまだ個人の中にあります。答えが記録から見つかり、しかも次の議論で実際に開かれていれば、組織の知になりつつあります。記録は丁寧に残っているのに誰も開かないなら、残っているのは書類であって、知ではありません。
もう一つの手がかりは、新しく来た人の質問です。「なぜこうなっているのですか」と聞かれて、「昔からそうだから」としか答えられない決まりごとが多いほど、判断の過程は失われています。
GreatRIVERの実践:決めた理由と捨てた理由を、同じ重さで残す
私たちGreatRIVERは、創造性人材が企業の内側に入り、日々の会議や意思決定の場に加わる形で伴走しています。その間ずっと続けているのが、判断の記録です。何を学び、なぜ決め、なぜ捨てたかを記録し、組織の知として残します。
なかでも抜け落ちやすいのは、捨てた側の記録です。採用された案には、資料も成果物も残ります。捨てた案は、放っておけば何も残りません。けれど、その組織が何を良しとするかがいちばんはっきり表れるのは、捨てる場面です。
記録を同じ場で取ることにも意味があります。暗黙知は、経験を共にしなければ移りにくい。決まったあとに報告だけを受け取る立場では、何がどう比べられ、どこで捨てられたのかを見届けられません。決めたその場で理由を言葉にするから、過程が組織の側に残ります。
外から来た人は、その組織の基準を知らないぶん、「なぜ」を何度も尋ねます。その問いに答えるうちに、社員自身もまだ言葉にしていなかった基準が表に出てくることがあります。外の目は、暗黙知を言葉にするきっかけにもなります。
私たちが見ているのは、記録の厚さではなく、それが次の判断で開かれているかです。半年後の別の会議で、社員の誰かが「前に、この理由で見送っています」と言えるか。その一言が出たとき、判断の過程は組織のものになっています。
まとめ:結論の下に、何を捨てたかを残す
組織の暗黙知とは、組織が何を良しとし、何を捨ててきたかという判断の過程です。個人のコツやマニュアルとは違い、正解のない場面で何を選ぶかを支えます。言葉になりにくく、人の異動とともに失われやすい。だから、結論と同じ重さで、比べた案と捨てた理由を残す必要があります。残っていないときに表に出る困りごとが属人化で、残ったものが使える形になった状態が内製化です。
次に議事録を書くときは、決まったことの下に一行だけ足してみる。今日、何を見送り、なぜ見送ったのか。その一行が、三年後の会議でのやり直しを防ぎます。
執筆:杉山 諒(株式会社アマナ/プロジェクトデザイナー・GreatRIVER主宰)
企業のブランディングや新規事業開発、人材育成など幅広いプロジェクトに参画し、プランニング・ファシリテーションを中心に企画・設計に従事。クリエイティブ人材育成プログラムamana Creative Camp、創造性人材循環事業GreatRIVERを主宰。認知科学コーチ。
GreatRIVERは、プロジェクトデザイナーをはじめとする創造性人材がチームで参画し、構想と推進の両面から企業のプロジェクトに内側から伴走するサービスです。まずは停滞しているプロジェクトの見立てからで構いません。
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